オーガニック・無添加・食品のお店

59歳誕生日

台風18号の接近で、一日あめ。夜中から風も吹いてきた。

本日が誕生日で満59歳となった。朝方紘一郎君がやってきて、誕生日のプレゼントをもらった。高そうな包装紙に包まれたものは、お財布であった。IMG_1078[1]

今使っているのはかなりくたびれた感じになっていた。財布はいつも買ったら十年以上は使っている。最初のものはカミさんからもらったもので、使い込んでほころびなどが出てきて、味わい深いところまで使った。確か紘徳君からプレゼントしてもらって、現在まで使っていた。

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大事に使いたい、、、、。

 今日で満59歳になった。来年は60歳となる。もう50代も終わりだ。

考えてみると子供のころは親や家の環境に影響を受けながら育った。大学の四年間東京で過ごした時が、この四年間で大きな影響を受けそれが一生の生き方を決めた。卒業後社会人となって働いたが、基本的な生き方、考え方は大学時代の考え方と変わらなかった。37歳の時に、「食べ物は命の源、農は生命産業」と思い、農業の分野に進出した。実際にオーガニックのみそつくりの原料となる大豆やコメの生産を始めた。これがまた苦労の連続で、8年続けたが万年赤字で経営困難。廃業を決意。原料は自分が直接作らなくても専業農家の方から購入するように変えた。45歳の時だった。

と同時に、今迄自分の考えが実現できなくて挫折を覚え、その結果傷が深く元気がわいてこなくなった。しばらくすると治るだろうと思っていたが、なんとこれが15年ほど続いてしまった。この年に社長に就任。責任ある重い立場に立たなくてはならず、ちょうどフルマラソンを走った直後に、今度100m走に出場してくれと言われたようなものだった。くたくたに疲れているときに100m全力疾走はとてもできない状態だが、代わりになる人がいないのでやらなければならなかった。社長になってから、底力が発揮できず精神的にはただ、ぶらぶらと過ごすような感じが多かった。なかなか味噌が売れず資金には困った40代だった。それでもオーガニックみそつくりは、やめなかった。

50代になってから、味噌が売れ始めた。荷動きしだしたらお金がついてきた。次男、長男が帰ってきてくれあとを継いでくれるようになった。これでずいぶんと楽になってきた。気が付いたら50代最後の年になっていた。

これからの人生どのように生きていくのがいいのか考えるのだが、今はいい考えが浮かばない。やはり疲れたという言葉が自然と出てしまうのは、やはり休養を必要としているのか、モチベーションの持ち方に問題があるのか、どちらかだろう、、。

人は願望を失ったときどうすればいいのか、今まで明確に教えてくれた人はいなかった。これは自分で見つけるしかない。腹が減ったとき、自分は何を食べたいのかわからないのと同じようなものだ。うどんがいいのかカレーライスがいいのかラーメンがいいのか、いったい何が食いたいのかこれは自分自身が決めるしかないのだ。決められない場合しばらくは、何も食わないでいるのが一番いいのかもしれない。これが答えを出してくれると思う。しばらくはじっとしていたいのだが、そうもいかないのが現実で、この辺が苦しいところだ。

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河崎 宏

マルカワみそ

マルカワみその社長を務めております。これからの時代は、ますます命にかかわる「生命産業」が、社会から必要とされることになる。「和食のみそを中心に、食と健康の貢献企業」を目指してまいります。

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