オーガニック・無添加・食品のお店

マルカワ・スピリッツ

今日は日曜日。朝から天気は晴れで、ありがたいと思った。九州の空とは違って見えた。

嶺南の生産者と連絡を取った。今度の祭日の3日にあうことになった。

よく言われることなのだが、マルカワみそのみそは高いというご意見だ。確かに価格だけを比較してみると、値段は高い。目に見えないところに、コストがかかるからだ。

普通に売っているほうれん草が100円とすると、有機のほうれん草が150円だったとする。その50円高い分は何なのかというと、それはもう一度お百姓さんが農地に種をまいて、たい肥を作って畑にまき、草を取り再生産するために必要なコストなんだと思う。その高い分は誰が払うのかと言うと、それは消費者の方が払うのだと思う。買い支えていただけなければ、その農家は潰れてしまう。「買い支え」が必要なのだ。その買い支えの分が50円なのだと思う。同様にお米も大豆もみそも同じである。

我々は物を作る生産手段と製造技術を持っている。しかし消費者の方は、これらのモノを持っていない。もっているのは、どのほうれん草を買おうかなという「選択する権利」、選ぶことしかできないのである。作ることができないから消費者なのだ。

選択するにはそのものがどのようにしてできているのか、情報が必要である。どういう栽培方法なのか、種は在来種か農薬は何回かかけてあるのか、遺伝子組み換えなのかどうか、添加物は使っていないのか?これが分からないと、選択ができないと思った。

このことに気づいた弊社は、いち早く原産地表示を法律で決まる前から行ってきた。実際豆一粒、コメ一粒、塩1グラム、水一滴まで、電話での問い合わせがある。私は面倒くさがらず正直に答えてきた。

農水の発表している最新の日本の有機農産物の格付け実績を見ると、有機大豆はたったの1300トン。国産大豆ですら21万8千トン。日本は大豆の95%は輸入されている。その8割はアメリカだ。アメリカの97%は遺伝子組み換えの大豆と聞いている。なかでも国産の無農薬・有機大豆は、口にすることが難しい農産物だと言える。

米は自給率が高いけれど、国産の米の生産量は815万4千t。そのうちの有機米は8400トンで、有機米は0.1%しかない。1000人に一人が口にできる勘定だ。あとの999人は、農薬のかかったお米を食することとなる。貴重な食料なのである。また自然栽培となるともっと少なくなる。全体から見るとほとんど口にすることができないものとなる。

日本は食料自給率37%で、もっと国策として「食料防衛力」を高めないと、いくらお金を積んでも食料が手に入らなくなる時代が、来ないとは断じ切れない。飢えで苦しんで困るのは、我々小市民的な生活をしている善良な市民達だ。

メーカーは欲しい時に、欲しいだけ原料を購入したい。しかし有機農産物は広域流通に乗っていないため、相対での購入となる。出来秋になると生産者から豆や米が届く。生産者は農協にトラクターやコンバインのローンなどの借り入れがある。年末までに支払いしなければならず、クリスマスの時期までに支払いしてほしいと言われ、応じなければならない。年末には、わが社には「瞬間最大風速」が吹く。一年近い分の原料を買い入れなければならないからだ。

ある時俺は福井銀行のために働いているのでないかとおもった。借り入れしては返済して、また借り入れしては返して、儲かっているのは銀行だけでないのか。

会計事務所にいつになったら、”幸せ”がやってくるのでしょうかと聞いた。この会社には幸せはやってこないと、容赦なく言われた。在庫資金が多すぎる。味噌屋は「お金」と「時間」と「場所」のいる営業形態なのだ。100tみそを生産しようとすると、100トンのみそを寝かしておく場所と箱モン、木の桶またはタンク、それに在庫資金が必要となる。土地は買うか借りるかしなければならない。手に入らなければ、みそをタンクに詰めて天井を高くみそを積み上げて、上に行くしかない。

もう年末になると原料を置く場所がないので、福井市内の倉庫業者に預けた。原料に保管料と配達料がかかってくる。これも原価に乗ってくる。ほしい時に、欲しいだけ購入できる一般原料とは違う。普通のメーカーには、全く必要のない経費が掛かる。お客様にすれば、スーパーで同じようにみそが並んでいると、なぜ高いのかわからないと思うが、目の見えないところに生産者と製造者のコストがかかっているのだ。

一年寝かす天然醸造だから、量産はできない。温醸ならば簡単だ。在庫100トンの会社ならば、温醸だと400tぐらいは平気で余裕で生産できる。温醸すれば在庫資金が単純計算で四分の一になる。弊社で8000万の在庫資金が、2000万になる。浮いた6000万は手元の運転資金となり、資金繰りが楽になる。借り入れが減る。利益の出やすい体質になる。温醸法はお客様よりも、作り手側の事情によるものでないかと思う。

総資本回転率をあげれば上げるだけ、利益は増える勘定だ。戦後効率を求めるあまり、温醸でのみそが急速に増えた。みそを作っているものは、天然醸造のみそは一番美味しいとみんな知っているのにもかかわらず、温醸に走った。

温醸は誰とって必要な技術なんだろう。本物に近い”偽物”をいかにして作るよりかは、よりよい本物をいかにして作る技術の方が、大切なようにおもえる。人間の浅はかな知恵で自然を克服しようとするよりは、自然の摂理に従って生きていく方を私は選ぶ。

一体味噌とは何なのだろうかと、疑問におもった。お金を儲けるための手段としての「モノ」なのか、?それとも我々いのちの「糧」としての食べ物なのか、どっちなんだろうかと、、、?

人は毎日ご飯を食べ、次の日ウンコする。次の日も食ってウンコする。人間は「歩く糞尿製造機」なのだと思った。糞尿製造機ならば、家畜だって毎日行っている。人間と家畜とは違うはずだ。人が生きるということは、いったいどうゆうことなのだろうかと考え、人生の師匠なるものを追い求め探し始めた時期があった。20代でマクロビにであった。

100年たっても、有機のみそと天然醸造のみそは、からならず残ると確信できる。ならば信じ切れるみそに、男の人生「担保」に入れてこの道を歩もうときめてここまでやってきた。温醸しなければならない時が来たら、味噌屋を廃業すればいいと息子たちに言ってきた。このみそ作りの精神を、「マルカワスピリッツ」と呼んでいる。この精神を本当にわかってくれた人が、次の社長だと思う。

有機・天然のみそには、目の見えないところに大きな金がかかっていることを、わかってほしい。どうか買い支えてほしいのだ。決して高くはないのである。いっぱいの味噌汁に約16gのみそが必要だ。お椀一杯当たり1500円のみそだとすると、みそ代はたったの24円だ。一日何倍飲むのか? 四人家族で100円かからないのだ。これが果たして高いか安いかそのご判断は、お客様が判断・選択なされる。

この有機のみそは、単なるビジネスを超えて、世直し、村おこしともいえよう。土に農薬や除草剤を使わなくなれば、その時点から土は良くなっていく。土が良くなれば、できる農産物も良くなっていく。それを食べた人は健康になり、そして充実した人生が送れるようになる。善のサイクルは起きてくる。これが広がれば、世の中変わるといえよう。

また土や空気、水は一度汚してしまうとなかなか元には戻らない。次の世代へ汚染せずきれいなまま引き継ぐことが出来るのは、自然と調和した有機農業しかないと思う。

みそつくりをしていて、有機のみそには「生命価値」と「環境価値」のある、やりがいのある意義や価値や値打ちのある、仕事だと分かってきた。なぜ味噌屋の私が農業をしているのかというと、「食べ物は命の源、農は生命産業」と思うからだ。

一番最初に作った有機みそは、「日本」という名前にした。その脇に、”良い国残そう 私たちの国”と脇書きが書いてある。ネーミングの原点は、ここにあったのだ。

”たった一杯の味噌汁が、日本の未来をかえていく”。私はそう信じてみそ作りをしている。

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河崎 宏

マルカワみそ

マルカワみその社長を務めております。これからの時代は、ますます命にかかわる「生命産業」が、社会から必要とされることになる。「和食のみそを中心に、食と健康の貢献企業」を目指してまいります。

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