善人なお持って往生をとぐ、いわんや悪人おや
- 2021/12/07
- 仏教
社長職を離れてみてよくわかったことは、自分のやっている最中はよく分からないが、人がやっていることを見ていると、よくわかるということだった。
善人なお持って往生をとぐという言葉は、歎異抄の有名な言葉である。ここで善人は往生を遂げるのに、悪人はなおさら往生するという誤解された解釈だ。善人よりも悪人の方が往生するのなら、悪いことをした方がいいということになる。
親鸞聖人がおっしゃられた善人とは何か、悪人とは何か、ということになる。何が「善」で何が「悪」なのかが分からないと善人とか悪人とは言えない。親鸞聖人は「善悪」の二つ総じてもって存知せざるなりとおっしゃっておられる。何が善だか悪だか二つとも全く分からないとおっしゃっている。
善人とは、自分を善人とうぬぼれている人、買いかぶっている人の事を言う。仏から見たら人間はすべて悪人である。仏から人間を見ると三つのことが書いてある。大無量寿経のことば。
心常念悪 心、常に悪を念じ
口常言悪 口、常に悪を言い
身常行悪 身、常に悪を行じ
曽無一善 曽(かつて)、一善なし
と言われている。2600年前、お釈迦様が悟りを開いてから、人間は一つもいいことをしていない。今も昔も文明は栄えて豊かになったが、人間の実相は全く進歩していない生物といえる。
人間とは元来「悪人」なのだ。「煩悩の塊」である、と言える。阿弥陀仏はうぬぼれている人も、うぬぼれたまんま、煩悩あるがままにそのまんま救うと言われている。阿弥陀如来の掬い取る力は、大きい。