葬儀
- 2021/08/15
- みそつくりの息吹
数十年に一度といわれている今回の大雨と言われ、朝から少し雨が降っていたが、葬儀が終わる頃には、雨が上がり抜ける様な夏空となってきた。これも何かの天の計らいかとも思えた。
今回の葬儀で気がついたことが何点かあった。母親が死んだのは30年まえになるが、そのときも「友引」の葬式だった。普通友引の葬式は世間では嫌う。本日の父親の葬儀も、偶然かもしれないが「友引」だった。
浄土真宗では、友引とか日の良し悪しは「迷信」で、関係ないとされている。棺の中に人形も入れなかった。友引のおかげで親の葬式は、火葬場は空いていた。
また母親の時は丁度祝日と土日の連休であったので、会社の仕事は休まずに済んだ。今回の父親の時はお盆の休暇で会社は休みだった。取引先に連絡するとしても、会社関係はお休みなので、連絡はしなかった。また会社の役員も十年以上も前に離れていたのと、公職も同様に随分前に手を引いていたので、告知・連絡等は全く行わなかった。
うまい具合に休みの間に葬儀を済ませることができ、仕事を休まずにおれたことは、支障が出ず大変ありがたかった。これも運なのかと思った。
無事滞りなく葬儀が終えられた。お骨を拾いに行って父親は頑丈な体であったことを知った。またあんちゃんには世話になったと、お愛想抜きで挨拶された方も何人かおられた。人は死んでその値打ちがわかるということも聞いたことがあるが、人から惜しまれる人であったんだと、父親の徳を知った。
火葬場からの帰りのバスの中で、疲れが出てきたのか、ウトウトと寝てしまった。