門松は冥土の旅の一里塚
- 2021/01/14
- みそつくりの息吹
昨日近所のMさんの奥さんが、お亡くなりになられ、お通夜に参列した。コロナの影響で回り焼香だった。棺の前を通ることになったいた様で、お亡くなりになられたご本人の顔を拝顔させていただいた。ガンでお亡くなりになられたとお聞きしたが、大変綺麗な顔で安らかな感じがした。
門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、目でたくもなし。といって京都の市内を杖のサキに骸骨をつけて「気つけなはれや、気つけなはれや」といいながら、町の中を練り歩いたという一休さん。また、「散る桜、残る桜も散る桜」という言葉も、諸行無常を表した言葉だと思う。
昨年私の同級生の方お二人が、お亡くなりになられた。身近な方がお亡くなりになられると、次は私かもしれないという「おそれ」を感じる。
まさに死せん時は、かねて頼みおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ、三途の大河おば、ただ一人こそ行きなんずれ。これは蓮如上人の御文章の中の一説
病にかかれば妻子が介抱してくれよう。財産さえあれば、衣食住の心配は要らぬだろうと、日頃、あて力にしている妻子や財宝も、いざ死ぬときには何一つ頼りになるものはない。一切の装飾は剥ぎ取られ、一人行く死出の旅路は丸裸、一体どこへ行くのだろうか。
身近な方がお亡くなりになるにつけ、しみじみと感じるこのごろである。