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仏教講座

武生楽市のマクドナルドでK先生にお会いした。ここでご一緒にマクドナルドを食べてみた。前回食べたのは何年前なのか思い出せないくらい前になる。食べてみたらなんとやわらかい食べ物なんだという印象がした。

店外のテーブルで食べていたら、本日よりお持ち帰りのみとなったということで、お店の方から出ていただきたいといわれ追い出された。仕方がないので楽市の中で話をした。

話した内容は省略するが、どんどん仏教の魅力に惹かれ、大変面白くなり興味がわいてきた。なぜ人は仏教を学ばないのかと、不思議に思ってしまうほどだった。

今まで私がお聞きした話をまとめてみると、もともとお釈迦様が35歳のときに「さとり」を開いて、仏教を説いた。悟りには1段目から最高52段目まであって、達磨大使は30段ぐらいだったそうで天台宗を開いた最澄も30段ぐらいだったと聞いている。生きたままで最高位の52段までの悟りを開いたのはお釈迦様だけであった。しかしこのお釈迦様ですら、人間を極楽往生に掬い取ることができず、師匠の阿弥陀如来にお願いしてすくい取ってもらうほど、阿弥陀仏の力が大きかったというか、人間の煩悩の深さが半端でなかったといえる。

人間は煩悩の固まりだ。108の煩悩を持っているといわれている。煩悩は貪欲(トンヨク)、瞋恚(シンニ)、愚痴の三つからなっている。

その貪欲は五つから成り立っている。財欲、名誉欲、食欲、色欲、睡眠欲という「心」で作る悪だ。また、綺語、両舌、悪口、妄語という「口」が作る悪。殺生、偸盗、邪淫という「体」で作る三つの悪で10悪となる。

人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。

人身受け難しとは、盲亀浮木のたとえのとおり人に生まれるのは、大変まれなことである。また仏法にあえるのも大変貴重だ。いかに仏法を聞くことが難しいかをお釈迦様は、「ヒマラヤの山頂より糸を垂らして、麓にある針の穴に通すことよりも難しい」とおっしゃっておられる。

人間に生まれるのは、砂漠の砂を一掴みして、爪の上にぱらぱらと落として残った砂粒ぐらいの確率だそうだ。そのまた仏縁に合えるのは、太平洋の海の水を、耳かき一杯すくったぐらいの確率だそうだ。誠に得がたいご縁で感謝しなければならない。多くの方がご縁につかれるといいと思った。

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河崎 宏

マルカワみそ

マルカワみその社長を務めております。これからの時代は、ますます命にかかわる「生命産業」が、社会から必要とされることになる。「和食のみそを中心に、食と健康の貢献企業」を目指してまいります。

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