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病気になったからこそ

ゆったりとした時間が流れていく。
最近目先のやらなければならないことが思い浮かぶのだが、なかなかハカ行かず時間だけが過ぎ去っていくように感じられる。
病気をしてから、またその後の断食をしてから、特に感謝する機会が増えたようだ。大体夜は七時半から八時には寝て、朝の四時ごろには起きる。なぜかよく寝るようになった。
朝、目があくと西式の健康体操を行う。体操しているこの間は、ナンマンダブ、ナンマンダブと口から何度もお念仏が口からこぼれる。これは理屈でなくて、ありがたいと自分が感じるから自然と念仏が沸き起こってくる。
余談だがウンコがスルスルとトイレで出たら、あ~あ、ありがたいと思わずにはいられない。なぜなら私は「ぢ」だった。ぢで苦しんでいる時、排便時の苦しみはつらくて脂汗が出る。この傷みは、なった人にしかわからない。もう駄目だと思ってぢの病院に行くことにした。ネットで調べたら、東京の表参道近くの病院がどうもいいらしい。電話してそこにいった。80%のぢは切らずに直ると説明を受け、薬をもらった。その先生が作った保険外の塗り薬だった。二日で完治し、再発があれから一度も起こらなかった。さすが肛門専門で三代続いている病院だと感心した。それ以来ウンコが出ると私はありがたいと感謝するようになった。(ぢの面白い話はまた別の機会にします)
目の見えない方は、たった1秒でいいから目の前の風景を見たいと切実に念願するそうだ。私は毎日目が見える。こんなありがたいことはない。老眼で見えにくくなったというのは贅沢な不満だ。これはどれほど感謝しなければならないか、、。
あさ目が開いたら、雨が降っている音が聞こえた。その雨音を聞いた時あ~あ、ありがたいと感じた。なぜなら私は家にすんでいるので、この家のお蔭でこの冷たい雨にぬれることがない。そのときなぜかそれがありがたく思えたのだった。
自分の家は地下水で水道代金は払ったことがない。昔佐藤先生がインパール作戦でビルマの戦地での話を聞いたことを思い出す。この作戦に参加し生還したかたはほとんどいなかったらしい。食料はなく、マラリアが発生し、死体を踏み越えながら進軍したと聞いた。そのときあ~ぁ、今ここで風呂に入って浴衣をきて冷たい麦茶を一杯飲めたら、もうこれは「極楽」だと思ったといわれた。なぜか風呂に入った時にこの話を想いだす。高々風呂に入ったぐらいで今までありがたいと思うことはなかったのだが、最近は思わず感謝することが多い。これも断食の効果のひとつでないかと思う。理屈でなくて自分がそう感じるか感じないかだと思う。
釈迦の教えは結局の所簡単に言えば、「与えられた環境をそのまま受け入れて生きていけ」ということだったと何かの本で読んだことがある。やはり肯定から入るのがよく、否定的な考え生き方は苦しみが発生し、肯定的であれば感謝とか満足といったものが生まれてくるように最近思える。
まぁ~そういう風に思うのは一日の短い時間で、仕事が始まれば通常の生活になり、なかなかそのような心境に立って生きていくことは、難しい、、、。やはり人間は自分の考えが正しいと思いがちで、素直な気持ちで生きていくことは簡単には成就できないようだ。

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河崎 宏

マルカワみそ

マルカワみその社長を務めております。これからの時代は、ますます命にかかわる「生命産業」が、社会から必要とされることになる。「和食のみそを中心に、食と健康の貢献企業」を目指してまいります。

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